システムエンジニアが地域に根差す働き方:移住で得た新たなキャリアパスとつながり
はじめに:都市の喧騒から地方への眼差し
私は都内でシステムエンジニアとして20年近く勤務し、プロジェクトマネージャーの職にありました。妻と二人の子供(当時小学校高学年と中学年)がおり、都心での生活は便利である反面、通勤ラッシュのストレス、子供たちの遊び場の少なさ、そして何より「このままあと20年、同じような生活を続けるのか」という漠然とした不安を抱えていました。リモートワークが普及し始めたことをきっかけに、地方移住という選択肢が現実味を帯び、「家族との時間をもっと大切にしたい」「エンジニアとしてのスキルを社会に還元したい」という思いが募り、地方への移住を決意しました。
移住先の選択と決め手:家族で描いた理想の生活
移住先選びは、家族全員で議論を重ねました。重視したのは以下の点です。
- 自然環境: 子供たちがのびのびと遊べる、豊かな自然があること。
- 交通アクセス: 私自身、月に数回は都心での打ち合わせがあるため、新幹線駅や空港へのアクセスが良いこと。
- 教育環境: 子供たちがスムーズに転校できるよう、一定の教育水準が保たれていること。そして、地域に開かれた学校であること。
- 地域コミュニティ: 外からの移住者を受け入れる土壌があり、地域活動に参加しやすい雰囲気があること。将来的に、私のスキルを地域で活かせる機会があることも視野に入れていました。
いくつかの候補地を家族で訪れ、最終的に選んだのは、地方都市近郊の、里山に囲まれた小さな町でした。決め手となったのは、自然が豊かでありながら新幹線駅まで車で30分という利便性、そして、自治体が移住者支援に力を入れており、地域おこし協力隊OBが定住して活躍している事例が多かったことです。実際に訪れた際、町の人々が温かく接してくれたことも、大きな後押しとなりました。
移住前の準備と計画:不安を解消するための周到なプロセス
移住を決意してから実行するまで、約1年半をかけました。最も時間を割いたのは、情報収集と家族との話し合いです。
- 仕事の調整: 勤務先の会社には、リモートワークを前提とした地方移住を相談しました。私のプロジェクトでの実績と、リモートワーク制度の整備が進んでいたことが幸いし、継続勤務の許可を得ることができました。ただし、評価基準や出張頻度など、詳細な条件については事前に書面で確認し、不安要素を払拭しました。
- 住居探し: 実際に何度か現地を訪れ、不動産会社や地元の知り合いを通じて情報を集めました。最終的には、築40年ほどの広めの戸建てを中古で購入し、一部をリノベーションすることにしました。地方では、都心に比べて手頃な価格で広い物件が見つかる一方で、修繕費がかさむ可能性も考慮に入れる必要があります。
- 子育て・教育環境の確認: 転校先の学校には事前に連絡を取り、校長先生や担任の先生と面談しました。子供たちも一緒に学校を訪問し、雰囲気を感じてもらうことで、不安を軽減するよう努めました。
- 行政手続きと補助金: 自治体の移住相談窓口を積極的に利用し、住民票の移動、免許証の書き換え、利用できる移住支援金やリフォーム補助金などの情報を入手しました。これらの制度は自治体によって大きく異なるため、事前に確認することが重要です。
移住後の生活:地域に根差す日々
移住後の生活は、想像以上に変化に富んでいました。
住まいと環境:豊かな自然と広々とした暮らし
都心のマンションから一転、庭付きの戸建てに住むことになりました。週末は家族で庭の手入れをしたり、近所の畑で野菜を収穫体験をしたりと、自然に触れる機会が格段に増えました。家の窓から見える景色は四季折々で、鳥のさえずりで目覚める朝は格別です。交通手段は車が必須となりましたが、渋滞とは無縁で、移動自体が苦になることはありません。買い物は地元の小さな商店と少し離れたスーパーを使い分け、新鮮な地元の食材を手に入れる喜びを感じています。医療機関については、大きな病院が少ないという不安はありましたが、地域の診療所がネットワークを組んでおり、いざという時には連携病院へスムーズに紹介してもらえる体制が整っていました。
子育て・教育:地域全体での見守り
子供たちの学校生活は、初めこそ環境の変化に戸惑いもありましたが、すぐに慣れてくれました。都会の学校に比べて生徒数が少ない分、先生方が一人ひとりに目を配ってくださる安心感があります。地域の方々も子供たちを温かく見守ってくださり、登下校中に声をかけたり、見知らぬ大人と自然に挨拶を交わしたりする光景は、都心ではなかなか見られなかったものでした。
地域コミュニティ:積極的に関わることで見えてくるもの
移住当初、やはり「よそ者」という目で見られることも全くなかったわけではありません。しかし、私たちは積極的に地域の行事に参加するように努めました。町の祭りでは裏方として準備を手伝い、地元の消防団にも入隊しました。妻は地域のボランティア活動に参加し、子供たちは少年野球チームに入りました。こうした活動を通じて、徐々に地域の方々との距離が縮まり、今では困ったことがあれば助け合える関係を築けています。地域の一員として認められたと感じた瞬間は、何物にも代えがたい喜びがありました。
リモートワークの実践:仕事の継続性と効率化
システムエンジニアとしての仕事は、移住後も東京の会社で継続しています。
仕事環境の構築
自宅の一室を完全にオフィスとして整備しました。高速光回線の導入は必須条件でした。デュアルモニター、高性能なWebカメラ、ノイズキャンセリングヘッドセットなど、都心でのオフィス環境と遜色ない設備を整えることで、集中して仕事に取り組める環境ができました。
ツールの活用と時間の使い方
Web会議ツール(Zoom, Teams)、チャットツール(Slack)、プロジェクト管理ツール(Jira, Trello)は、移住前から日常的に使用していたため、業務遂行に大きな支障はありませんでした。むしろ、通勤時間がなくなったことで、業務開始前の情報整理や、業務後の自己学習、家族との時間に充てられるようになり、ワークライフバランスは格段に向上しました。
コミュニケーションの工夫
リモートワークで課題となるのは、偶発的なコミュニケーションの減少です。同僚との何気ない雑談から生まれるアイデアや、非公式な情報共有が少なくなることで、疎外感を感じることもありました。これを補うため、私は意識的に「朝会」や「終礼」の時間に雑談を挟んだり、プロジェクトメンバーとの1on1ミーティングを定期的に設定したりと、積極的にコミュニケーションの機会を作るように努めました。また、半年に一度は東京へ出向き、対面での打ち合わせやチームビルディングに参加することで、チームとの一体感を保つようにしています。
直面した課題と解決策:壁を乗り越える
移住生活は順風満帆なことばかりではありませんでした。いくつかの課題に直面し、その都度家族で話し合い、解決策を模索してきました。
仕事面:キャリアの展望とスキルアップへの不安
地方にいることで、最新の技術トレンドから取り残されるのではないか、キャリアアップの機会が減るのではないかという不安は常にありました。これに対しては、オンライン学習プラットフォームを活用し、最新の技術を自習する時間を確保しています。また、地域内で開催されるIT関連の勉強会や交流会にも積極的に参加し、地域内のエンジニアや事業者とのネットワークを築くことで、新たな視点や情報を得るようにしています。将来的には、地域の課題解決に貢献できるようなITサービスを立ち上げることも視野に入れています。
生活面:地域特有の人間関係と慣習
地方ならではの濃密な人間関係や、昔からの慣習に戸惑うこともありました。例えば、地域の集会での役割分担や、冠婚葬祭における独自のしきたりなどです。最初は「なぜだろう」と思うこともありましたが、地域の方々に教えていただきながら、まずは「郷に入っては郷に従え」の精神で受け入れることを心がけました。わからないことは素直に尋ね、積極的に関わることで、次第にその背景にある地域の歴史や文化、人々の助け合いの精神を理解できるようになりました。
家族との関係:配偶者と子供の適応
妻は当初、都会での友人関係や趣味との別れに寂しさを感じていたようです。しかし、地域のボランティア活動に参加したり、地元の陶芸教室に通い始めたりすることで、新たなコミュニティを見つけ、充実した日々を送っています。子供たちも、都会では経験できなかった自然の中での遊びや、地域の人々との交流を通じて、たくましく成長しています。家族全員で移住のメリットとデメリットを定期的に話し合い、お互いの気持ちを共有することで、家族の絆はより一層深まったと感じています。
移住・リモートワークを経験して感じること、得られたもの
地方移住とリモートワークを実践して、私自身の人生観が大きく変わりました。
第一に、ワークライフバランスの劇的な改善です。通勤ストレスから解放され、仕事に集中できる時間と、家族と過ごす時間、そして自分自身の時間をバランスよく確保できるようになりました。
第二に、新たなキャリアパスの発見です。これまでは企業のシステム開発に携わることに専念してきましたが、地方に住むことで、エンジニアとしてのスキルを地域課題の解決に活かすという、新たな視点とモチベーションを得ました。例えば、地域のNPO団体のウェブサイト構築を手伝ったり、地元の商店街のIT化を支援したりと、地域に貢献できる喜びは、都市部ではなかなか得られないものでした。これは、単に「都市で稼ぎ、地方で使う」という働き方を超え、「地方で稼ぎ、地方に貢献する」という、より深い充実感を与えてくれています。
第三に、家族との絆の深化です。共通の新しい環境に順応していく中で、家族で協力し、支え合う機会が増えました。子供たちが自然の中で活き活きと過ごす姿を見るたびに、この選択が正しかったと実感しています。
これから移住を考える人へのアドバイス
もしあなたが都市部でリモートワーク可能な職種に就いており、地方移住に関心があるのであれば、ぜひ一歩踏み出してみることをお勧めします。ただし、いくつかの点に注意して準備を進めることが重要です。
- 徹底した情報収集と現地体験: 観光ではなく「生活」をイメージし、移住候補地の自治体の窓口や、移住者向けのイベントに積極的に参加してください。可能であれば、数日〜数週間程度、実際にその土地で暮らしてみる「お試し移住」を経験することをお勧めします。
- 家族との対話: 家族全員の意見を尊重し、不安や期待を共有することが成功の鍵です。一人で決断せず、全員が納得できるまで話し合いを重ねてください。
- 仕事の準備: 勤務先との交渉は、余裕をもって行いましょう。リモートワークの実績を作り、地方移住後も成果を出せる体制を整えることが大切です。万が一の転職も視野に入れ、地方での求人情報も確認しておくと良いでしょう。
- 地域への敬意と積極性: 移住先の文化や慣習を尊重し、積極的に地域活動に参加する姿勢が大切です。最初は戸惑うこともあるかもしれませんが、時間をかけて信頼関係を築くことで、かけがえのないつながりが生まれます。
まとめ:移住は「生き方」の変革
地方移住とリモートワークは、単なる働き方の選択肢を広げるだけでなく、私たち家族の「生き方」そのものを変える大きな転機となりました。もちろん、課題や苦労もありましたが、それらを乗り越えるたびに新たな発見と成長がありました。
都市の利便性を手放す代わりに、私たちは豊かな自然、温かい人間関係、そして何よりも家族との充実した時間、さらにエンジニアとしての新たなキャリアの可能性を手に入れました。この体験談が、地方移住を検討されているあなたの、次なる一歩を踏み出すきっかけとなれば幸いです。